聖なる地ではすべてがなされるがゆえに、環境がメタファーとなる。
――ジョセフ・キャンベル
新しい流れに沿って死者を殺すために我らは来た。流れは囁き、目配せをする。完璧に描かれる過去の誤解への我らが努力をふざけて回避しながら。記憶に残る最も乾燥した夏の一つを終え、眺望からは殆ど全ての緑は流れ出てしまった。ハコヤナギの樹皮はボロボロになり、枝先は小川に反射する程灰色だ。手首のキズや、霜が降りた草、白土の堤防のように青ざめ、ブラックヒルズへと避難所を求めて急ぐ雲はほとんどない。
我らがカリフォルニア砂漠に来たのは、凍った土地で密かに死んだ者たちの幾ばくかがその近くにやって来て火に温まり、ついに彼らの頭を置くだけの隙間を見つけることを期待したからでもある。悩みつかれた幽霊のシャツや引き裂かれた声、朦朧とした足取りの錯乱した再生と同様に、我らにその日を1890年12月の朝のように感じさせたのは、我々の期待を上回る漂白された空を無慈悲に切り裂きながらバビロンへ戻る途中の戦闘機による偽りの雷だった。
ヴィゴ・モーテンセン
2003年9月11日
写真集『Miyelo』より
日本語訳:Miyelo
注:ブラックヒルズ-ラコタの聖地であるが、金鉱が発見されたために取上げられた土地。