Words of VM

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2005年 10月 15日

歴史を作る – パート3:ヴィゴ・モーテンセン(全訳)

Kristopher Tapleyのブログ In Connectionに載っていた
   Making History – Part I: DAVID CRONENBERG
   Making History – Part II: MARIA BELLO
   Making History – Part III: VIGGO MORTENSEN
   Waxing Politic

のうちのMaking History – Part III: VIGGO MORTENSENの訳の全文です。

歴史を作る – パート3:ヴィゴ・モーテンセン(全訳)
クリストファー・タプリー 
2005年9月30日 In Connection

「アメリカ人はよい国民だと思うが、この世界の他の人たちよりも良かったり悪かったりするとは思わない。起こったこと、いかに準備できえたのかということ、ハリケーンの後の反応、そして今日次のハリケーンがいて、明日激しく上陸することに関する我らの政府の見ていられないほどひどい行動にも係わらず、政府が何をして、何をしなかったのか、そしていかに隠そうとし、言い訳をしようとしているのかは問題じゃないという事実を、私は特に誇りと感じている。人々は自分たちのことは自分たちで面倒を見て、そして進み続ける。人は本質的に回復力があると思っているが、人がなしえる善、示しうる思いやりに驚かされる。人間はその点で他の動物に比べユニークだ。そう、この物語の中のように。人は判断をくだし、「だめだ。それは正しい道じゃない。難しいかもしれないが、そのやり方に苦しんでも反対したい」と言うことができる。それが正しい行動であるという以外に特にこれといった理由がなくても、人は人に助けの手を差し伸べることもできる。そして、それがいま起こっていることを見ることができる。それが常にあなたに未来への希望を与えるのだ」

―ヴィゴ・モーテンセン、ビバリーヒルズ、2005年9月22日






俳優ヴィゴ・モーテンセンは芸術性の多岐に亘る感覚を持っている。

彼は物語を語ることに夢中だ。役者としての仕事を通じてだけではなく、文学での成果を通じて、そして写真を通じてさえも。マリア・ベロは彼をアートから切り離せない男だと言う。この俳優と直接話すことにより、人は文化的な鋭敏さの気後れしない感覚を見出すだろう。自己表現の世界との同調だ。

歴史を作る – パート3:ヴィゴ・モーテンセン(全訳)_b0064176_1446537.jpgモーテンセンの映画での最初の役は、ピーター・ウェアーの1985年のスリラー『刑事ジョン・ブック/目撃者』という形でやってきた。この映画は皮肉なことに、外部の力に対し自身を守る方法としての暴力と報復の哲学をある局面で検討するものだった。20年後彼はデイヴィッド・クローネンバーグの『A History of Violence』でトム・ストールとして主演する。ある夜、劇的に張り詰めた状況で、自分たちを殺そうとする男たちに対し、彼自身と、彼のダイナー、そして顧客を守りヒーローとなる男だ。方法は?悲惨であると全く同様に効果的な、抑えられた暴力的な攻撃が辛らつに迸る。今年の社会的分析の最高に上質な二つの例として存在する映画と演技の双方のための触媒となる事件だ。

このような層のある役に取り組むとき、モーテンセンは具体的な段階に関係づけられると気づいた。そしてそうする中で、(ジョン・ワグナーのグラフィックノベルに基づく)ジョシュ・オルセンの脚本が観客に与える反響の本質を理解する。

「私たちは誰でも多重人格だと思う」と彼は明かす。「そこが面白いし、不穏だ。殊にクローネンバーグの目を通してみるとね。彼の目は礼儀正しさの層の下に何があるのかを容赦なく探し出す。人間は複雑なものだと思う。そこが美しいところで、恐ろしいところでもある。誰でも何でも考えられるし、何でも想像できる。いいことも悪いことも。その存在がどんなに隠されていたとしても、どんなに若いとしても。とても暗く厄介な考えを持つことができるのと同じぐらい、美しく、気高い感情を持つことができるんだ。

[クローネンバーグは]それを私たちに見せるのがいつもうまい。車のようなものだ。とても素敵に見えるが、開けて中を見ると、もっとさらに複雑だ。そしてエンジンのパーツをばらばらにし、『めちゃくちゃだ』ってなる。それが彼が人を見るときに彼が見ているものなんだ。彼は科学者のようだ。喜劇の科学者。彼は人間の行動の探求にシリアスであると同時に、とても健康なユーモアのセンスを持っているからなんだ。彼は私たちがどんなに不条理なのかを示すだけではなく、楽しんでいるんだ」

歴史を作る – パート3:ヴィゴ・モーテンセン(全訳)_b0064176_1451335.jpg性格描写として、『A History of Violence』は今年の映画作品の大部分より断然上を行く。それは爽快であると同時にぞっとするものであり、人間性の血なまぐさい層を剥ぎ取り、我々の最も病的で、深く、恐ろしい能力を分析するために我々のまぶたを無理やり開かせる。

このような脚本を一目見ただけでは、行間にほぼ傑作に近いものが潜んでいることをすぐさまわかるようなことはない。先週の日曜日ニューヨークタイムズマガジンのジョナサン・ディーが言及したように、「何になる権利があるよりも、どうも、実質的な映画」である。綱渡り歩きになることがモーテンセンの目にはすぐにはっきりわかった。そして脚本が真の芸術作品になるかどうか当初懐疑的だったが、まもなく彼は監督ディビッド・クローネンバーグとともに創造する喜びを分かち合う自分を発見する。

「脚本を読んだとき、面白いと思った。しかし、ほとんどの監督はこれをうまくいかさないだろうと思った。つまり、すぐに満足できるようなグラフィックや、暴力、強い感情のレベルで視覚的に面白いものをつくるだろうが、物語を語るという点からみて層の厚いものには必ずしもならないだろう。ボールにシンプルかつリアルに、本当の方法で語らせる忍耐力や意向をもっていないだろう。しかし彼に会って話したとき、私が持っていた疑問―「明らかすぎる?この方法である必要があるのか?」-で、何でも彼は既に私の先を行っていたんだ。彼は自分に同じ質問をしていて、無駄をそぎ落として作ろうと思っていることを知っていたんだ。」

実際、脚本の過程で、ストーリーをそれぞれの枠組みから性格付けをとことん絞り込んだタイトなスリラーへと変換した。

「撮影を始めるころまでには、脚本は100ページくらいから70ページぐらいへとなった。だから枠組みはとてもタイトで、とてもシンプルだ。最初から誰もが意図を知っていた。そしてその枠組みの中で、私たちは果てしなく探索することができ、自分たちをバカにしようとしたり、本当に厄介な行動や状況をかなりうまく擬態したものをしようとしたりしていた。[クローネンバーグは]人間行動をよく勉強している」

歴史を作る – パート3:ヴィゴ・モーテンセン(全訳)_b0064176_14533746.jpg映画の実際の暴力に関して、制作者と俳優はシーンの肉体的状況、心理的状況の双方で極端に自然主義のアプローチをとった。結果はこの監督の作品のなかで最も衝撃的なもののいくつかとなった。意味深長だが。

「とても単刀直入で、とても信じられるものであるべきだとみんなで同意していた。私たちは自己防衛コースやビデオを調べ、他の人たちと話した。とても事実に即したもので、とても直接的で、とても効果的なものだ。映画全体のストーリーテリングと同様にね。カメラで何ができるかとか格闘家のように動けるとかを見せびらかすシーンじゃないんだ。無駄な努力はあまりない。相手にできるだけ速くできるだけ近くまで行って、できるだけ早くできるだけ相手を痛めつける。原理上はとても単純だ」

才能と違いを持つデイヴィッド・クローネンバーグという監督と働くのは、このスターの目には無上の経験だった。質問の一つ一つで、モーテンセンは監督への増大する賞賛と敬意をすこしづつもらすことを許されたかのようだった。クローネンバーグがしっかりと導く手を持って『A History of Violence』を物語る手法を彼が評価していることはかなり明白だ。

「この物語を語るのに、普通の監督よりもずっと長く時間をとらせることがたくさんある。エド・ハリス―彼と父子に何かが起こった―の後のシーンのように。彼は演じつづけさせ、何が起こったのか私たちに見させる。他の監督であれば、『うーん、観客がこれに我慢できるかわからないな』と言う忍耐力や勇気はないだろう。しかし楽しむのが彼なんだ。リズムだ。彼はミュージシャンのようだ。彼はしばらくドラムソロを演奏できることをしっているし、いつ次のパートへ移動し、他の要素を入れるべきかを知っているんだ」

「たった一つになることは決してない。私たちはみんな全てなんだ。何を見せたいのか、どんな状況があなたに見せさせるのかによるんだ。材料は全てそろっている。私たちみんなだ。状況と生い立ち、ストレス、あらゆる種類のものの問題だけで、これらの材料がいかに組み合わされ、人として自分をいかに見せるかだ。他の監督であれば、もっと雇われ仕事でやってしまい、こんな男が突然あんな男になったと示すだけかもしれない。俳優が演じるとして、表面的な面では派手かもしれないが、それでは私の中にもっと考え、もっと自分の人生と関連付けさせる何かを残さない。彼は素晴らしいアーティストだ」

俳優として物語を伝える自身のアプローチに関しては、モーテンセンは少ない方がより多くを語ること、意図よりも行動に大きく語らせることに同感のようだ。

歴史を作る – パート3:ヴィゴ・モーテンセン(全訳)_b0064176_14543545.jpg「観客のことはあまり考えないんだ。彼らを尊敬していないからじゃないよ。実際、観客を尊敬する私の方法は、人間は知的であると考えることだと思っている。あなたが何かを語るやり方で正直であるのであれば、本当のことを本当に感じ考えているのであれば、それはみえるはずだ。それをメッセージにしようとしたり、非常にはっきりさせるために一目瞭然にしようとしなければ、認められるだろう」

映画が見せるのは、家族の変遷だ。それは物語の全ての領域をつなぎとめる要だ。アメリカ文化的な、端正な、小さな街のつくりのなかで、キャラクターたちの間の崩壊する関係の様子が他のどんな特殊効果よりも目を楽しませる。トムの妻、イーディを演じる共演のマリア・ベロとモーテンセンの相性のよさが、真の家族の解体に筋を通す。画面上の相棒を、モーテンセンは最高の敬意を持って褒める。

「彼女について私が言える最高のこと ―最高の真実なんだが― は、この映画の彼女の役を彼女以外が演じることを想像できないっていうことだ。もしそうだったら、こんな風には感じない。彼女と一緒に演じたことがとても幸せだからね。彼女は素晴らしい仕事をしたと思うよ。彼女は勇気がある。勇敢だ。私たちが感情的にそして肉体的にしなければならなかったことのいくつかは厄介なもので、居心地の悪いものになるんだけど、彼女は無難には演じなかった。彼女はまさに体当たりしていったんだ」

ベロに関して言えば、彼女はカメラの向こうに回ることに興味を示している。モーテンセンも同様の意向があるのだろうか。

「不可能じゃない。考えたことはある。私は写真家でもある。書くことが好きで、イメージと言葉で物語を語ることに興味がある。だからこういった様々な興味の分野を全部使って物語を語るのはロジカルなことかもしれない。わからないな。良いストーリーじゃなきゃならない。『A History of Violence』とその撮影のように、いくらよく準備しても、いくら物事がスムースに運んでも、ハードな仕事だし、忍耐力が多く必要だということもみてきた。映画を組み立てるには長い時間が必要だし、ぴったりのキャスト、ぴったりのクルーを一緒に集め、撮影し、それを一つにまとめ、プロモートするのは真の芸術形式だよ。監督、特に良い監督になるのは長く大変な道のりだ。軽々しくは捉えていない。映画事業にしばらくいるからと言って、できるとは思っていない。文章を書いたり写真を撮ったりすることができ、物語を語るのが好きだからということで、それができるとは思っていない。でも可能性はある」

歴史を作る – パート3:ヴィゴ・モーテンセン(全訳)_b0064176_14583041.jpgモーテンセンはクローネンバーグ氏とある身体的特徴を共有する。最終的にかなり決定的となるそれは、穏やかで落ち着いた個性を示す洞察力ある青い瞳だ。彼は計算された思想家であり、政治的、哲学的コメントに満ちている。しかし『A History of Violence』に重要性と意味を見出すという点では、彼は映画をそれ自身に語らせることに興味があるようだ。これは認められたり、分類されたりする映画ではない。何にもまして、ヴィゴ・モーテンセンの心中では、『A History of Violence』は様々な種類の議論を誇る映画というよりも、興味をそそる性格分析として受け止められるべきのようだ。

彼は映画がアメリカ自身の暴力の経歴を示しているという考えに明確に―そしてしっかりと―反応する。

「確かにそこに行くことはできる。複雑な映画だからね。あらゆる種類の類似を見つけることができる。人がこの映画に見るもののいくつかには驚いたよ。それについては自分でも考えることさえしてみた。考えていけば賛成できるかもしれないからね。他の多くの国に比べ、アメリカはまさに銃を持ったワイルドウェストといった感じの場所だと記録されているけど、暴力や暴力の結末は特にアメリカのものってわけじゃない。言いたいのであれば、極端に走ってこれはアメリカの暴力についてだとかアメリカの外交政策についてだとか、何でも言えることをいくらでも言えるし、賛成することもできる。でも、それは意図じゃない。良すぎる映画だからね。彼はあまりにもいい監督で、賢すぎるんだ。そういう風に限定できないよ。できるけど、私はしない。

はしゃぎまくることはできる。そういう風に書く映画評論家はいつでもいるし、なんでもそういう風に持っていく。そしてそれは有効だ。この映画を本当に哲学的に考えることができる。しかしこの映画を評価するために、そういった傾向や評価や学術的な傾向を持っていなくてもいいんだ。そこが素晴らしいところだ。これは極度に巧みに作られ、うまく仕上げられた機械、映画作品なんだ。その機能という点から言えば、完璧に近い。これがエンジンなら、完璧に、音を出し、動いているんだ。物語を語るという点から言えば、最高に効率的だ。でも、技術的に同じようにうまく作られたほかの映画とは違い、大きなハートがある。乱雑なハートだ。冷たいのではない。これを確かに把握することはできないと思うよ。試してみることはできるが、何か別のものがずっとあり続けるんだ」

歴史を作る – パート3:ヴィゴ・モーテンセン(全訳)_b0064176_14585197.jpg「あらゆる方法でこれについて話した。ジャーナリストの質問によって刺激を受けたこともあるけど、私は人生と文学、政治、そして人がすることとしないことに興味があるからだ。いくつかのレベルではこれらはみんな抽象的だ。物語を語ることに協力してくれない。観客について考えることが私にとって手助けにならないのと同じように。私はしないんだ。それをしないぐらいには観客を尊敬している。そしてクローネンバーグもそうだと思う。彼はメッセージ指向の監督ではない。彼は何かを創る。彼はドアを開ける。自分自身に質問をさせてくれる。しかし彼は決してあなたに言わないし、そうするように頼みもしないんだ」

ほとんどの人が知っているように、モーテンセンは彼の行動主義を譲らない。実際、彼は鼻の下の傷に関する質問を奇妙に避け、フォー・シーズンズの彼の部屋にあるテレビをチラッと観た。

「あれを見ろよ。曲がってまっすぐニューオルリンズへ向かっている。こうなるってわかってたんだ」

もちろん、彼はインタビューの日にメキシコ湾岸に接近していたハリケーン・リタのことをさしているのだ。そこで私は、ニューオルリンズでの危機に対するジョージ・ブッシュの緩慢な統率の後、行動を求める彼のメッセージについて持ち出した。その時点で『A History of Violence』に関する話は全て終わっており、私は政治に関する彼の見方、現政権に対する彼の勇気あるスタンス、何にもまして誠実さを満足させるシステムへの高潔な信念について、幸運にも彼と話すことができた。控えめにいっても興味をそそる会話であったし、彼はこういった分野に関する自身の考えと感情に関して情熱的だ。しかしこれらに関しては後日とする。

手近の話題に戻ると、『A History of Violence』におけるモーテンセンの演技は、今日までの彼の最高のものであることは間違いがない。この俳優のために完璧に切り出され構築されたキャラクターであり、今までの努力と同様、自分の演じた役たちを生身の人間の仲間だとみなす男のいつもの仕事でもある。

歴史を作る – パート3:ヴィゴ・モーテンセン(全訳)_b0064176_14585912.jpg「この役を演じているのでも、アラゴルン(『ロード・オブ・ザ・リング』)でもキャプテン・アラトリステ(『アラトリステ』)でもどんな役でも、話の必要性を追うだけだ。願わくば、るいい監督といいキャストであればいい。ディテールに興味を持ち、こぎれいで表面的なものを作らず、内側にある全て-各キャラクターとそれぞれの関係の全ての可能な色―のコントラストを見るようなね」

『A History of Violence』の制作に係わった人たちは皆その経験から的確に影響を受けて別れたようだ。モーテンセンも例外ではない。

「これは私にとって常に道しるべとなると思う。この映画の中で映画を監督する最善の方法を見ることができたと思うからだ。彼が準備した方法、始める前に彼が皆とコミュニケーションをとった方法が、ストーリーを語るのをずっとたやすくした。最後まで彼がコミュニケーションをとり続け、オープンであり続けたと言う事実が、撮影をとても効率的なものとし、とても楽しんで取り組める制作とした。

最終的な結果は、私にとってそして私の好みで、私が係わってきた全ての映画より満足できるものだ。この監督は俳優がこのプロジェクトで提供する微妙なディテールを喜ぶだけではなく、それを求め、私たちにもそれを探すように促し、私たちの本能を信用してくれる。そんな監督と共に働いたことがもう一つの理由だ。彼のようなやり方で俳優を理解し、いい演技ができるよういかに手助けをするかを理解している監督を得られることはめったにない。今まで演技してきた映画以上に、この映画と共に働いたことを誇りに思っている」

by miyelo | 2005-10-15 14:59 | ヴィゴ訳


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