Words of VM

viggowords.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2005年 08月 16日

ジョン・ハウ画集序文(4)

とりあえずあとちょっとだったので、最後までアップしちゃいますね。1ヶ月放置するのもなんなので。

ジョン・ハウ画集序文(4)

現代のイラストレーターの世界をどういったタイプのアーティストと作品が作り上げているのかを少なくともある程度理解するために、私は多くの本、カレンダー、雑誌、ポスター、他の発行物をみてきた。そのどこにも、誰にも、このように繊細なバランスを見出さなかった。明確さと儚さの、観測された本質と考案された本質の、情報を多く知らされた物語からの脚色と完全にオリジナルな空想の飛躍の。例外はおそらく、ジョンの同僚、アラン・リーの作品だろう。(ピーター・ジャクソンは確かに賢くラッキーだ。この非常に才能のあるアーティスト両者の貢献を得られたのだから!)何百とまでは行かないが何十もの見事な目と手をもつ才能あるイラストレーターがいないといっているわけではない。彼らの作品をみることによって、ジョンほどには巻き込まれ、インスピレーションをうけるとは私が感じないだけなのだ。『ロード・オブ・ザ・リング』で働くうちに、作成中の彼のアートに対し独自の観点をもつようになったという事実が私の現在の判断に影響を与えているのは明らかだ。私はジョンの作品をかなりよく知るようになった。私はその中に生き、時として、その主題となった。十分な時間はたったと思うし、他の人たちによる新しいイメージを十分見てきたと思うが、ジョンの作品に対する私の継続する親近感は、おそらく完全には客観的ではないだろうが、衰えないでいるだろう。

おそらく後10分か15分、私は静かに彼のスケッチや絵を見て、うろついていた。もし私が現代のイラストレーターや、トールキンの一連の作品についてよく知っていたり、ものすごく忠実なファンであったりしたのであれば、おそらくこれらの類稀なオリジナルイメージ全ての中に1人残されることで軽い心臓発作を起こしたかもしれない。

おそらく、スケッチをいくつか丸めて逃げ出さないまでも、少なくとも彼の鉛筆を一本盗んだり彼の椅子に座ったりせざるを得ないように感じただろう。まだマニアになっていない私の純潔な状況であってさえも、その部屋の作品の莫大な量と繊細なディテールに驚いた。それが特別な瞬間だと気づいたことを覚えている。そしてあの日のあの部屋の紙、インク、グラファイトの匂いの記憶を持ち続けている。今私がジョンとトールキンについて知っていることをそのとき知っていたとしても、何かをとることには抵抗したであろう。今私が古い教会や寺院、モスク、儀式の場、その他礼拝の場所に興味を持っていても、そこから何かを盗んだり、自分のものにしたりしなくてもいいのと同じように、どちらにしてもジョンのオフィスから何も持たずに歩きさることができただろう。もちろん何もとってこなかったことを後悔していない。このランチ休憩で私が自身で見て学んだことと、ジョンが仕事を通じて私と他のものたちに見せ続けたことは、常に私と共にあるだろう。映画3部作の一部を見たり、関連するイメージを見たりすればいつでも、私はその中にジョンの手を見ることになるだろう。それだけではなく、私は今もジョン・ハウが作るそれぞれ独自な新しいイメージを熱心に期待して待つ崇拝者の一群の1人なのだ。

ジョンのオフィスを出、アート部門ビルの正面ドアを外に出て、静かに―やましい気持ちで―2階の階段から下りていったとき、誰かに―クリス・ハンナだと思うのだが―誰か探しているのかときかれた。私は現行犯で逮捕されたかのように感じた。彼女が私の目の中にあれらのスケッチを見ることができるかのように感じたのだ。私は、ただ散歩に出ただけだとか何かをもぞもぞと言い、残りものから何かあされないかとランチルームへと向かった。

ヴィゴ・モーテンセン
トロント、2004年10月

日本語訳:Misa(Miyelo)

by miyelo | 2005-08-16 12:10 | ヴィゴ訳


<< ジョン・ハウ画集序文(全文)      HISTORY TEACHER... >>