Words of VM

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2005年 08月 14日

ジョン・ハウ序文訳(3)

『ロード・オブ・ザ・リング』以外の主題のジョンの驚異的な芸術作品を見ると、自分のイメージをあまりみせず、散らし、覆い隠すための彼の意識的な選択がいかに効果的でありえるのかに繰り返し気づく。『Billiards(ビリヤード)』や『The Castle of Chillon(シヨン城)』、『Lancelot(ランスロット)』などの完成した作品や『Centaur(ケンタウロス)』や『Rhinoceros(サイ)』の甲冑のスケッチ―ほんの少し名前を挙げただけだが―に見られる彼のデッサン力の卓越性と精密性と同じぐらい、他の「完成」していないイメージにしばしば注意深く残されているものが、自分自身のイマジネーションで彼を経験させずにはおかない。ジョンがいくつかの絵に描いたしっかりとしたラインの傍らにもしくはその向こうに、仄めかされたり全くかけているものが、観るものを何らかの方法で刺激し挑発する力を常に持つ。この効果は、『MYTHAGO WOOD(ミサゴの森)』用などのスケッチや、『The Golden Fool』、『Unicorn(ユニコーン)』、『Waterfall(滝)』などのずっと精巧に手を加えられた素描などだけではなく、『Merlin(マーリン)』のような余白いっぱいの絵からもえられる。

『マーリン』は最終的には出版されなかったこの魔術師のフランス語版の本の表紙候補として作られたが、そのイメージの中に、ジョンの「そこにないもの」を見事に使っているところが見られる。時間の経過と、確かなもろさ、ある午後の季節の移ろいの自然の特性を想起させるディテールが青白く、霜のような光で満たされ、それが稜線の向こうには何があるのか、斜視の年老いた賢人の心に何があるのかと我々の興味を引き立てる。我々にこれらのものを見させないにもかかわらず、もしくは、だからこそ。緻密なラインとあまりはっきり識別できない領域の融合はまた、例えば衝撃的な血のような赤でアクセントがつけられた『Sagittarius(射手座)』にうまく使われている。ほとんど見えないものの描写の中に、正確さと確かなタッチがあり、それがハードエッジ全てを完全に補完している。これらの作品すべてのなかに我々が感じるのは、有形の形式と示唆される光源の調和、すぐに的確にみられるものと私たちが思い巡らすことだけができるものの調和である。それに我々は影響をうけ、感動する。なぜなら、全てが繋がり、不可能であるときですら全て本物であることを知っているからだ。ジョン・ハウは私よりうまくこの本質を表現している。

「私たちはいつでも境界を口にする。子どもにこれはいらないということで、欲求と必要の境界をはっきりするように要求する。大人になるとは自分自身の境界―そこであなたが止まり他者が始まる―を明確にすることを意味する。他の境界。紙の上の鉛筆。絵筆と絵の具。これらは全て接することによってお互いに触れ、明確にする。場所によって定義されることで我らは現実に触れ、場所の輪郭を描くことで我らは想像力に触れる」

(続く)

ヴィゴ・モーテンセン
日本語訳:Misa(Miyelo)

by miyelo | 2005-08-14 00:35 | ヴィゴ訳


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